服やバッグ、靴や時計などを買い物をする際に聞く魅惑の言葉『一生モノ』。
一度だけ「エイヤッ!」と意気込んで購入してしまえば、後はずーっと買い換える必要もないし、一生モノを所有する自分も特別な人間になれるのではないかと錯覚してしまいます。
ぼくももちろん過去に『一生モノ』と呼ばれるモノを何度も買いましたが、現在はほとんど手元に残っていません。
どうやら自分は一生モノが必要ない人間のようです。
その理由を自分なりに分析してみました。
もしかすると、あなたもそうなのかもしれません。
『一生モノ』という言葉に惹かれる理由
『一生モノ』という言葉から連想できるイメージをあげてみました。
・丈夫そう
・上質そう
・経年変化を楽しめそう
・ブランドとしての価値がずっとありそう
上記の言葉は購入時には魅力的に聞こえますが、じっくり分析してみますね。
丈夫そう
『一生』と言葉が付くからには、丈夫ではないといけませんよね。
ただ、使用するからにはそこには必ずなにかしら消耗は起きるので、メンテナンスは常に必要です。
上質そう
たしかに『一生モノ』と謳うからには質はいいと思います(一生添い遂げてくれるのですから)。
ただ、やはりこれも経年により劣化はしていく可能性もあり、上記と同じでメンテナンスは必要です。
経年変化を楽しめそう
変化することでモノ自体に味や雰囲気が出てきて、本人にとって愛着がわくのは間違いありません。
ただ、他人から見たとき同じように共感を得られるかはわかりません。
単に「汚い」と捉えられる可能性はあります。
ブランドとしての価値はずっとありそう
たしかに高級ブランドは魅力がありその価値がずっとありますが、それを所有する人の魅力とは別物です。
一生所有するということは、別の言い方をすれば『一生モノ』に一生縛られることを意味します。
ここでは服や靴などの小さいモノについて話していますが、大きいモノとなると車や住宅購入にあたります。
大きさは違えど、どちらもメンテナンスをし続ける必要はあります。
分析してみると、いいことばかりではないような気がします。
これらのような思考の整理のなかで、ぼくの手元に一生モノが残らない理由が判明しました。
モノへの気持ちは変化する
要は『好みが変わる』ってことですね。
モノ自体の持つ品質や魅力は変わらずとも、それを所有する自分がそのモノに魅力を感じなくなってしまうんです。
これは個々人の性格によるところが大きいです。
ぼくの友人は学生時代から現在までもずーっと同じスタイルを続けています。
ぼくはそれとは逆で、その時々で着る服や聴く音楽など、好みが常に変化しています。
悪く言えば『軸がない』、良く言えば『執着がない』
残念ながらぼくはひとつのことをずっと好きでいられないし、やり続けられない性格です。
それだと自分に救いようがない(笑)ので、良く言えば『執着がない』と都合よく変換しています。
だから、いろいろなことをどんどん手放せるのかもしれません。
で、結局なにを手放すん?
『一生モノ』という他人軸で定義された価値観
自分にとって一生モノかどうかは、他人が決めるのではなく自分です。
たとえ100均で買ったモノでも、使い続けるとそれは自分にとっての一生モノになります。
一生モノが必要ない人間になれば、執着のない自由な人間になれるのかもしれません。