ぼくが子どもの頃はドラクエ(ドラゴンクエスト)やFF(ファイナルファンタジー)などのRPG(ロールプレイングゲーム)がとても流行っていました。
今思い返すと、RPGは『現実世界の人生を生きるためのルールが凝縮されたものだったのでは?』と最近思うようになりました。
そして、そのことに気づき、自分の人生(生活)を俯瞰で見れるようになってから、生きるのがラクになりました。
2020年以降、『生きることがしんどく感じる人』が増えているような気がします。
世の中がどんな状況になったとしても、その現実世界にどっぷり浸かるのではなく、俯瞰で見る感覚を養うことが、これからの時代を生き抜く上で必要な技術かもしれません。
【人生の基本ルール】は2つだけ
最初に【人生】というRPGの基本ルールを知ることが大事です。
これさえ守れば、どうにだってできると思います。
これは言わずもがな、ですね。
死んでしまうとゲーム自体が終わってしまいますから。
病気やケガにも注意が必要です。
ゲームでは牢獄に閉じ込められると、そこからストーリー展開がむずかしくなります。
現実世界でも同じで、一カ所に閉じ込められると身動きが取れなくなります。
それはどういうことかというと『刑務所に入ること』です。
この2つだけが【人生の基本ルール】で、あとはなにをやってもいいと思っています。
そうは言っても、自分の起こした行動が巡り巡って【罪を犯すこと】になってはいけません。
『病気にならない』ということも大事ですが、こればかりは先天性のものや遺伝的なものも影響があったりします。
ただ、食事や運動などの健康管理は、可能な限り自分で気をつける必要はありますね。
主要キャラ以外には深く関わらなくてもいい
RPGで村人に話しかけたとき、なんの意味もなく罵声を浴びせてくるようなキャラがいましたよね。
でも、ゲームの進行にはまったく必要のないやりとりですし、こちらにはなんの影響もありません。
こちらも「わ、変なヤツ」程度に感じるだけ。
(だって、本筋のストーリーにはまったく関係ないんだもん)
現実世界でも、たまにこういう人がいたりします(笑)
電車の中だったり、お店の中だったり。
一般的な常識が通じない人ですね。
相手がこちらにけしかけてきたとしても、そういう人とは関わらないこと。
こちらが常識を押し付けても、向こうの常識とはまったく違うのですから、話になりません。
さっさと立ち去ることが一番です。
正義感からなんとかしようと思わなくてもいい。
そして、そんな人に対しても「なんだあの態度!」とか「どうしてあんなこと言われないといけないの!」と、自分の感情に振り回される必要もありません。
【人生】というRPGにとって、その人はただの【変な村人】でたまたまゲームに参加してきただけと思いましょう。
人によって常識や価値観はそれぞれ違うものなので、それらすべてにわざわざ自分から影響を与える必要も、影響を受ける必要もありません。
お金は大事だけど残してもしょうがない
ゲームを進めていくなかで、お金が必要になりますよね。
体力を回復させるための食料や薬を買ったり、戦うための装備を充実させたり。
でも、ゲームをクリアする時点で「お金がどれだけ残っているか」という採点基準はありません。
現実世界の人生もこれと同じで「この世を去る時点で、いくら資産が残っているか」というのは無意味です。
生きていく中で、食事を摂り、必要なときは治療を受けたり、知識や技術を習得したり、そういったことにお金を使って、人生というゲームを楽しみながら攻略していくべきです。
何かを成し遂げようとするときには、もちろんまとまったお金が必要になることもあるので、お金を貯めることは大事です。
なので、『貯める』と『使う』のバランス感覚を養うことも必要ですね。
経験値を積み上げてレベルアップする
ゲームでは敵と戦闘を繰り返すことで、経験値を積み上げてレベルアップします。
現実世界でもまったく同じで、未経験のことを始めたとき、最初はうまくいかなくても、それを繰り返すことで経験値として自分のなかで積み上がっていき、知識や技術が向上します。
人によっては資格を取得することかもしれないし、料理を毎日することかもしれないし、多くの人と出会って話をする、といったことかもしれません。
本を読むだけや頭で考えるだけでは、経験値は積み上がっていかないので、やはり『行動する』ことが自分をレベルアップさせます。
『経験値を積む』ということが目的であれば、行動した結果にもこだわる必要がないので、「失敗したらどうしよう」と悩む必要もありませんね。
失敗すら『経験値を積む』のうちに入りますからね。
『ゲームクリアのための最終目的』は人それぞれ
ゲームだと『捕らえられたお姫様を助ける』とか『悪の組織を倒して世界に平和をもたらす』とか、なにかしらゲームをクリアするための最終目的が最初からあります。
その最終目的に向かってゲームを進めていきます。
現実世界にはその『ゲームクリアのための最終目的』がありません。
というより、ぼくたちはその目的を知らされずに、この世に生まれてきます。
そして、生きていく中でその目的を自分で模索します。
もしかするとこの世を去るときになって初めて「あぁ、あれだったのか」と『ゲームクリアのための最終目的』を知ることもあるでしょう。
目的を知ることより、知ろうと模索しながらいろいろな経験をすること自体が『ゲームクリアのための最終目的』であるかもしれません。
誰かに影響を受けすぎたり、まわりの価値観を自分の価値観と錯覚したりしないよう、注意が必要ですね。
こうして考えると、『ゲームクリアのための最終目的』はみんな同じでもなく、人それぞれです。
で、結局なにを手放すん?
【人生】というRPGにどっぷり浸かる自分
ゲームは主人公を俯瞰で見れるからこそ、冷静に対応できたり、感情をコントロールできたりします。
でも現実世界ではどうでしょう?
目の前のできごとに一喜一憂し、ときには妄想し、感情に振り回され、自分をうまくコントロールできなくなる人も多いです。
現実世界でも、ゲームと同じように世の中における自分を俯瞰で見ることができれば、身近で起きる些細なトラブルや、ネットやテレビから流されるニュースなどに、自分の感情や思考を振り回されることもなくなり、人生がもっとラクで楽しめるゲームになるでしょう。